間書達奚武と斉神武 ― 敵陣に紛れ込む

事例

  • 『魏書』 ― 東魏の大将・斉神武(高歓)が兵を率いて沙苑へ向かった。西魏の大将・周文帝(宇文泰)は達奚武を偵察に遣わした。達奚武は三騎を従え、みな敵の服装をして、日暮れに敵陣から数百歩のところで馬を下り、ひそかに聴いて軍の合言葉を得た。そのうえで馬に乗って陣営を巡り、夜警のようにふるまい、規則どおりでない者がいれば片端から鞭打った。かくて敵情を残らず知り、周文帝に報告した。

按(朱逢甲の評)

  • 達奚武のこの法は馮異に基づくもので、王晙もかつて用いている。
  • 『漢書』にいう ― 馮異が赤眉と戦ったとき、壮士に服装を変えて赤眉と同じにさせ、道端に伏せさせた。翌朝、赤眉は一万人で馮異の前部を攻めた。賊は勢いが弱いのを見て全軍で馮異を攻めた。馮異は兵を放って大いに戦った。日暮れ、賊の気力が衰えたところで伏兵が突然起こり、服色が入り乱れて赤眉は敵味方を見分けられなくなり、その衆はついに驚いて潰えた。馮異は追撃して大破した。
  • また ― 吐蕃が臨洮を侵し、大来谷に陣した。安北大都護の王晙は麾下二千を率いて臨洮の兵と合流し、奇兵七百を選んで胡服に着替えさせ、夜、敵営を襲わせた。賊まで五里のところで令した ―「前方で敵に遭ったら大声を上げよ。鼓角がそれに応じる」。賊は驚き疑い、伏兵が傍らにいると思って、同士討ちで死ぬ者が万を数えた。