間書華元と子反
事例
- 『左傳』宣公十五年 ― 楚軍が宋を伐って九か月、宋は服さなかった。楚が引き上げようとしたとき、大夫の申叔時が「家を築いて耕作させれば、宋は必ず命に従います」と言い、楚子はこれに従った。宋人は恐れ、華元を夜、楚の陣中に潜入させた。華元は子反の寝台に登り、起こして言った ―「わが君は私に窮状を告げさせました ―『わが国は子を取り替えて食い、骸を割いて燃やすありさま。しかしそれでも城下の盟だけは、国が滅んでも従えぬ』と。三十里退いてくださるなら、仰せに従います」。子反は恐れて盟を結び、楚子に告げた。楚は三十里退き、宋と楚は和睦した。
按(朱逢甲の評)
- これは宋が華元を間としたものである。『孫子』は用間を論じて「必ず敵の主将・左右・門者の姓名を先に知り、わが間に必ずこれを探り知らせよ」と言う。華元はこれを先に探り知っていたからこそ、夜、敵営に入り、門番も左右の者も阻まず、まっすぐ敵将の寝台まで登れたのである。子反が恐れて盟を結んだのも、そのためである。