間書諜者を逆に手なずける ― 李愬・高仁厚・宋太祖・岳飛・李允則

  • 唐の李愬が諜者を宿らせた者に対して行ったもの。

李愬と諜者

  • 『唐書』李愬伝 ― 李愬が蔡を襲おうとしたとき、旧来の令では諜者を泊めた者は一族皆殺しであった。李愬はその令を削り、一切を穏便に扱った。そのため諜者の方から実情を差し出すようになり、賊の虚実をますます詳しく知ることができた。
  • 明の馮夢龍の評 ―「諜を用いるなら諜を泊めさせてもかまわない。ただし、まず諜を知ることができてこそ諜を用いられる。民が諜を隠さないようにできてこそ諜を知れる。恩威によって民を服させてこそ、民が諜を隠さないようにできる。ああ、容易には言えぬことだ」。

高仁厚と阡能の諜者

  • 『唐書』 ― 邛州の牙将・阡能が叛いて蜀の境を侵し、都招討の高仁厚が討伐に向かった。出発の前日、麺売りが陣営に来たのを巡邏の兵が怪しんで捕らえ訊問したところ、果たして阡能の諜者だった。
  • 仁厚は縄を解かせて問うた。答えて言うには ―「私は村の民です。阡能が私の父母妻子を牢に入れ、『探ってこい。事実を得れば家族を助ける、さもなくば皆殺しだ』と言ったのです。望んでしたことではありません」。
  • 仁厚は言った ―「そうと知れば、どうしておまえを殺せようか。いま帰してやるから、父母妻子を救え。ただ阡能にはこう言え ―『高尚書は明日出発する。率いるのはわずか五百人、多くの兵はいない』と。そして私がおまえの一家を助けたのだから、砦の中の者にひそかにこう伝えてくれ ―『僕射は、おまえたちが皆もとは良民で、賊に強いられてやむを得ずいるのだと憐れんでおられる。尚書はおまえたちを救い出して洗い清めようとしておられる。尚書が来たら、各自武器を投げ出して降れ。尚書は人をやっておまえたちの背に「歸順」の二字を書き、家に帰して元の生業に戻らせてくださる。誅されるのは阡能・羅渾擎・句胡僧・羅夫子・韓求の五人だけで、決して百姓には累が及ばない』と」。
  • 諜者は「それこそ百姓が心の底で願っていることです。尚書がすべてご存じのうえで赦してくださるなら、誰が喜び踊って命を聴かぬでしょう」と言い、送り返された。
  • 翌日、仁厚は出発して雙流に至った。把截使の白文現が出迎えた。仁厚は塹壕と柵を見回して怒った ―「阡能は人夫あがり、その手勢もみな耕す民に過ぎぬ。一府の兵を挙げて一年余りも捕らえられぬ。いま塹壕と柵を見れば幾重にも堅固だ。なるほど、これなら安眠飽食して賊を養い功を狙えるわけだ」。引き出して斬れと命じ、監軍が力を尽くして救い、ようやく赦した。塹壕と柵をすべて平らげさせ、五百の兵を残して守らせ、残りはすべて連れて行った。諸砦の兵も召され、相次いで集まった。
  • 阡能は仁厚が来ると聞き、羅渾擎を遣わして雙流の西に五つの砦を築かせ、千人を野橋の藪に伏せて官軍を迎え撃たせようとした。仁厚は偵知し、人を戎服を脱がせて賊中へ送り、昨日諜者に語ったとおりを告げ諭させた。賊は大いに喜んで歓声を上げ、我先に甲を捨てて降ってきた。仁厚は慰撫してその背に字を書き、帰らせて砦の中のまだ降らぬ者に伝えさせた。砦の残りの衆も争って出てきて、羅渾擎は狼狽して塹壕を越えて逃げたが、その手勢に捕らえられて仁厚のもとへ引き立てられた。仁厚は羅渾擎を府へ護送し、五つの砦と武具をすべて焼かせ、旗だけを残させた。
  • 翌日、仁厚は降人に言った ―「本当はすぐに帰してやりたいが、この先の諸砦の百姓はまだ私の心を知らない。おまえたちを先導に借りたい。穿口・新津の砦の下を通るとき、背の字を見せて告げ諭してくれ。延貢まで行けば帰ってよい」。そして羅渾擎の旗を取って逆さに吊るし、五十人を一隊として一本ずつ持たせ、先頭で旗を振って叫ばせた ―「羅渾擎はすでに生け捕られ、使府へ送られた。大軍が進んでおまえたちの砦にも来る。砦の中の者は、早く我らのように出て降れ。ただちに良民となって無事でいられるぞ」。
  • 穿口では句胡僧が十一の砦を構えていたが、砦の者が争って出て降った。胡僧は驚いて剣を抜いて止めようとしたが、衆は瓦や石を投げつけ、ともに捕らえて仁厚に献じた。その衆五千余人はみな降った。翌朝また砦を焼き、降人にまた旗を執らせて先導させ新津に至ると、韓求の十三の砦はみな迎えて降り、韓求は自ら深い塹壕に身を投げて死んだ。将士が砦を焼こうとすると、仁厚は止めて「降人はまだ食事をしていない。まず資糧を運び出してから焼け」と言った。新しく降った者は競って飯を炊き、先に降って報せに来た者と共に食べた。笑い声と歌声が夜通し絶えなかった。
  • 翌日、仁厚は雙流口の降人を先に帰し、新津の降人に旗を執らせて先導させ、「邛州の境に入ったら散って帰ってよい」と言った。延貢では羅夫子が九つの砦を構えていたが、その衆は前夜すでに新津の火光を望み、降伏を待って眠らずにいた。新津の者が着くと、羅夫子は身ひとつで砦を捨てて阡能のもとへ逃げた。
  • 翌日、羅夫子と阡能は全軍で決戦しようと謀ったが決まらず、日が暮れかかるころ延貢の者が降った。阡能と羅夫子は馬を走らせて砦を回り兵を出そうとしたが、誰も応じない。翌朝、諸砦は大軍が近づいたと知って歓声を上げ争って出、阡能と羅夫子を捕らえ、泣いて馬前に拝した。出軍からわずか六日で、五人の賊はすべて平定された。
  • 馮夢龍の評 ―「ただ敵の諜者ひとりを使っただけで、賊は争って降った。ただ降卒数隊を使っただけで、二十四の砦は望風して降った。首を斬ることだけを功とする者は、いったい何のつもりなのか」。

宋太祖と林仁肇

  • 『資治通鑑』宋紀 ― 南唐の林仁肇はつねに江北の旧領を回復しようとしたが、南唐主は聴かなかった。宋は仁肇の威名を忌み、その侍者を買収して仁肇の画像をひそかに盗み取らせ、別室に掛けた。そして南唐の使者を引き入れて見せ「これは誰か」と問うた。使者が「林仁肇です」と答えると「仁肇は降ってくることになっている。先にこれを信物として寄越したのだ」と言った。さらに空き屋敷を指して「これを仁肇に賜わる予定だ」と言った。使者が帰って南唐主に報告すると、南唐主は離間とは知らず、仁肇を毒殺した。
  • 按 ― これは陳平が項王の使者を利用して范増を反間した故智である。しかも画像を買い取って間とするのは、変化の趣向がとりわけ新しい。

岳飛と曹成の諜者

  • 『宋史』 ― 岳飛は詔を奉じて嶺表の賊を招撫しようとしたが、曹成は従わなかった。そこで上奏した ―「群盗は力が強ければ暴を働き、力が屈すれば招きに応じます。多少なりとも討伐せずに、いきなり招撫を議しても容易ではありません」。かくて兵を率いて入った。
  • 賀州の境で曹成の諜者を捕らえ、帳下に縛っておいた。岳飛が帳を出て兵糧を調べていると、吏が「糧が尽きました。いかがしましょう」と申し上げた。岳飛はわざと「ひとまず茶陵へ引き返そう」と言い、そのうえで諜者の方を見て、しまったという顔をし、地団駄を踏んで中へ入った。そしてひそかに諜者を逃がした。諜者が帰って曹成に告げれば、必ず追ってくると読んだのである。ただちに食事の支度を命じ、ひそかに嶺を回って進み、夜明け前にはすでに賊の砦に迫った。不意を衝かれて「岳家の兵が来たぞ」と叫び、岳飛はそこに乗じて大いに潰した。これより険阻な要地を次々に奪い、賊は窮した。そこで岳飛は「招撫の令はいま行える」と言った。
  • 按 ― 反間しなければ勝てず、勝たなければ賊は窮しない。窮していないのに撫すれば、今日撫して明日は叛く。

李允則と契丹の諜者

  • 『宋史』李允則伝 ― 契丹の諜者を捕らえると、縄を解いて厚遇した。諜者は「燕京の大王に遣わされました」と言い、探り取った国境沿いの金穀と兵馬の数を出して見せた。允則は「おまえの得た数は間違っている」と言い、担当の吏を呼んで帳簿を調べさせ、実数を書いて与えた。諜者は封印を加えてほしいと願った。允則は厚く金を賜って帰らせた。まもなく諜者は再びやってきて、与えた数を封印そのままに返し、逆に向こうの兵馬・財力・地理の詳細を報告した。