綱
- 孔門の高弟である子貢も、かつて間諜の術を用いて成功した。
事例
- 『李衛公兵法』 ― 子貢・史廖・陳軫・蘇秦・張儀・范雎らは、みなこの術によって成功した。
- 『孔子家語』屈節解 ― 田常が斉で乱を起こそうとしたが、高・国・鮑・晏の四氏を憚り、その兵を魯攻めに向けようとした。孔子は「魯は父母の国、救わぬわけにいかぬ」として使者を募り、子貢が名乗り出た。
- 田常に対して ― 「魯は城が薄く低く、土地は狭く、君は愚かで大臣は無能、士民は戦を嫌う。攻めやすい相手を攻めても功は君のものにならない。むしろ呉を伐つべきだ。内に憂いある者は強敵を攻めるものだ」と説いた。田常は納得したが、すでに魯に兵を向けた後の転進を危ぶんだ。
- 呉王夫差に対して ― 「魯を救えば名が立ち、斉を伐てば大利がある」と説いた。夫差は背後の越を警戒したが、子貢は「越を残すことが諸侯に仁を示すことになる」と説き、自ら越へ赴くと約した。
- 越王勾践に対して ― 「呉王は今、越を討ってから斉を伐つつもりだ。兵を出して従い、宝を贈って歓心を買え。呉が斉と戦って勝てば必ず晋に兵を向ける。精鋭は斉で尽き、重甲は晋で疲れる。そこを衝けば呉を滅ぼせる」と説いた。勾践は喜んで礼物を贈ったが子貢は受け取らなかった。
- 晋君に対して ― 「呉と斉が戦い、呉が勝てば必ず晋に兵を向ける。兵を修め卒を休めて待て」と説いた。
- 結果、呉王は艾陵で斉を大破し、そのまま黄池で晋と対峙して大敗。越はその隙に長江を渡って呉を襲い、五湖の戦いを経て夫差を殺し、その宰相を戮した。呉を破って三年、越は東方に覇を唱えた。
- 「子貢ひとたび出でて、魯を存し、斉を乱し、呉を破り、晋を強くし、越を覇たらしめた」。
按(朱逢甲の評)
- この一件は『國語』『越絕書』『吳越春秋』『史記』にも載り、『家語』の記述とほぼ一致する。
- 子貢の間は、『孫子』の「五間」でいえば「生間」にあたる。斉・呉・越・晋のあいだを離間したのは、『李衛公兵法』でいう「間鄰(隣国どうしを離間する)」の法である。その策はとりわけ妙であり、その弁論はとりわけ精緻である。