西夏書事卷四十一 宋寧宗(金元光元年・蒙古太祖十七年) 嘉定十五年(夏光定十二年) 1222年
大通城攻防と蒙古の攻勢
- 春正月、金の大通城を破ったが、二月に金兵が奪還した。遵頊は大通を破って浮橋を架け鄜延を窺ったが、金主は河西蕃部の内応者を用意し、陝西行省元帥白撒・知延安府事完顏合達らに反撃させた。白撒軍との戦いで夏兵は大敗し溺死者が三千に迫り橋を焼いて退き、大通城も内応により金に落とされた。
- 三月、金兵と永木嶺で戦い敗れた。夏の数千騎が金境に入り金将李師林と交戦して敗走した。
- 夏四月、河西の将甘卜が蒙古に叛き降った。甘卜は張掖の人で夏の世将であったが蒙古の勢威を見て部下を率い降り、千戸に任じられた。
- 六月、蒙古が金討伐のための仮道を求め、遵頊は東勝州からの渡河を許した。
- 秋七月、金の積石州の蕃族が夏に帰属した。金軍の敗勢を見て来附したもの。
- 八月、彗星が西方に現れ二か月で消えた。
- 九月、金の徳順城を攻め破り、寧安砦・神林諸堡を大いに掠めた。積石の蕃族が叛いたことに対する金の討伐軍が及ばぬ間に夏が徳順を落とし周辺を掠めた。
- 冬十一月、蒙古と延州攻略を約したが実現しなかった。木華黎配下の石天応が延州攻略を企て夏に協力を求めたが、金兵に敗れ石天応が戦死し夏兵も出なかった。
- 十二月、蒙古兵に従い金を攻め、質孤堡で敗れた。蒙古との合同で河中・葭州から陝西を攻めたが、蘭州提控唐括昉の軍に敗れた。