西夏書事卷四十 宋寧宗(金興定元年・蒙古太祖十二年) 嘉定十年(夏光定七年) 1217年
蒙古への従属と対金侵攻の挫折
- 春正月、蒙古兵に従って金を侵したが寧州で敗れた。遵頊は三万騎で蒙古に従い金の平陽を犯したが、金の胥鼎の合同軍に蒙古が大敗し、夏兵も慶陽の伏兵に敗れて退いた。「連兵」から「従侵」へと書き分けることで、この時すでに主導権が蒙古に移っていたことを示すとされる。
- 蕃族の福山が捕虜とした民を連れて金に叛き降った。
- 夏五月、金の大北岔を包囲したが、金の紇石烈猪狗に撃たれた。
- 六月、金の叛人李平を蘭州で再び援けた。李平は提控蒲察燕京を殺して叛き夏に援を求めたが、部下の張扆に捕らえられ夏兵は撤退した。
- 秋七月、羊狼砦を犯した。金は和議を望む声もあったが遵頊は将士を戒め、後に黄鶴岔・羊狼砦などで金軍と一進一退の攻防を続けた末に退いた。
- 九月、克戎砦を攻めた。金の李公直の襲撃に怒り、綏徳の克戎砦を掠めた。
- 月が東井を犯した。
- 冬十月、金兵が鹽井を襲い、戍卒三百人を殺した。金が宋を伐つ途上、鹽井故城の夏兵を殲滅した。
- 十二月、蒙古が中興府を包囲し、国主(遵頊)は西涼へ逃れた。蒙古への服属後も徴発が続き礼が疎かになったことに蒙古主が怒って攻め寄せ、遵頊は太子徳任に守りを命じて自らは出奔し、後に降を請うて蒙古兵は退いた。