西夏書事卷四十一 宋寧宗(金興定二年・蒙古太祖十三年) 嘉定十一年(夏光定八年) 1218年
蘇寅孫の登用と対金和議の模索
- 春二月、秘書監蘇寅孫を樞密都承旨とした。寅孫は世蔭により秘書監を授かった人物で、剛正で敢言、遵頊が金と兵を構えるのを見て度々和議を勧め、蒙古への共同対抗を涙ながらに説いた。遵頊はその忠を認めて抜擢した。
- 三月、金に書を送り互市の再開を求めたが許されなかった。
史論
- 金と夏の争いが十余年続き使者往来も交易も絶えている中、遵頊が厭戦して互市を望んだのは好機であった。金主がこれに応じていれば両国は和解し協力して蒙古に当たれたはずだが、機を逃した後悔は取り返しがつかないと惜しむ。
対金軍事衝突
- 夏五月、歩騎三千と蒙古兵を率いて葭州から金の鄜延二州を攻めた。金の元帥左都監慶山奴が鄜州から出兵し馬吉峯で迎撃、夏兵は数百級を斬られ首領二人を失った。
- 秋七月、龕谷砦に侵攻したが、金の提控夾谷瑞・副将趙仿の防戦により勝てずに退いた。
- 冬十一月、質孤堡で敗れた。遵頊は龕谷奪取を狙い久しく兵を屯していたが、金の夾谷瑞に不意を突かれ敗れた。