西夏書事卷三十八 宋光宗(金明昌四年) 紹熙四年(夏乾祐二十四年) 1193年
対金の通常の遣使
- 春正月、金へ正旦を賀う使者を送ったが、太后の喪により朝見できなかった。
- 夏五月、金の使者が来て横賜を行った。
- 秋九月、金の天寿節を賀う使者を送った。金主は初めて大安殿で親王・百官の朝賀を受け、宋・高麗の使とともに拝謁した。
仁孝の薨去と純佑の即位
- 国主仁孝が没し、子の純佑が立った。享年七十、在位五十五年、改元は四度、諡は聖徳皇帝、廟号は仁宗、墓号は寿陵。純佑はこのとき十七歳、生母は章献欽慈皇后羅氏。
史論(論曰)
- 仁孝の治世は当初小康であったが、地震・飢饉・砂塵など天災が相次いだ。それでも儒学を崇め奢侈を禁じ国史を修め新律を制し孔子を帝として尊び弟子員を増やすなど典章文物を整え、遼・金をも凌ぐほどの盛世を築いたと評される。ただし任得敬誅殺の後は次第に奢侈の心が兆し、金との関係を全うできなかったことが晩節の瑕であるとも評される。
対金の弔告
- 冬十一月、金へ仁孝の訃を告げ、あわせて遺物を献じた。
- 十二月、金の使者が来て祭慰した。もと仁孝の誕生日を賀するために遣わされた使者が、仁孝の卒去により勅祭慰問使に改められたものである。