西夏書事卷三十七 宋孝宗(金大定十年) 乾道六年(夏乾祐元年) 1170年
対金の通常の遣使
- 春正月、金へ正旦を賀う使者を送った。
- 三月、金の万春節を賀う使者を送った。宋使趙雄らと同席した射弓の宴で夏使が好成績を収め、金の宴席役に及ばなかったため金主が詔でこれを諭し、夏・高麗の使は先に退いた。
- 九月、金の使者が来て誕生日を賀した。
- 冬十一月、金へ謝礼の使者を遣わした。
任得敬の専権拡大と誅殺
- 二月、任得敬が喬家族を図り、金は熙秦の防備を増した。結什角の遺言により金が趙師古を隴逋等四族の都鈐轄に立てたことに対し、得敬は諜者を放って謀ったため、金は熙秦の要地に戍兵を増した。
- 夏四月、太后任氏が没した。得敬の権勢に頼った不法な行いを屡々戒めていたが果たせぬまま卒し、仁孝は礼をもって葬った。
- 五月、任得敬が仁孝を脅して国を分割し、金に封を求めたが、金主は許さなかった。
- 秋七月、日暮に日の色が赤くなった。金主が左丞相紇石烈良弼に問うと「朝に赤ければ東(高麗)、暮に赤ければ西(夏国)に応ずる」と答え、間もなく夏国では任得敬の死、高麗では趙位寵の乱が起きた。
- 八月、任得敬を誅殺した。得敬は封を求めて得られず弟の任得仁・任得聰らと変を図ったが、仁孝は金を頼みとして密かに誅殺し、その族党を尽く滅ぼした。