西夏書事卷三十七 宋孝宗(金大定九年) 乾道五年(夏天盛二十一年) 1169年

対金の通常の遣使

  • 春正月、金へ正旦を賀う使者を送った。
  • 三月、金の万春節を賀う使者を送った。
  • 秋九月、金の使者が来て誕生日を賀した。
  • 十二月、金が使者を送り祈安城の築造を按視させた。

御史中丞熱辣公済の罷免

  • 二月、御史中丞熱辣公済を罷めた。公済は骨鯁の士で、任得敬の専恣を憂え、その権寵を疏に上げて非難したため得敬が怒り、仁孝は公済が害されるのを恐れて致仕させた。得敬の讒言に朝廷の多くが屈する中、公済は焦景顔・幹道沖とともに屈しなかった。

任得敬による喬家族討伐と祈安城築造

  • 夏四月、任得敬が喬家族の首領結什角を莊浪族で殺し、その母を捕らえて連れ帰った。結什角は力戦して囲みを破ろうとしたが夏兵に腕を断たれ、傷により死んだ。
  • 冬十月、任得敬が祈安城を築いた。兵四万・役夫三万を動員し、三月で竣工させた。