西夏書事卷三十六 宋高宗(金正隆六年、十月世宗雍大定元年) 紹興三十一年(仁孝天盛十三年) 1161年

実録編纂と四川出兵拒否

  • 春正月、金の正旦および生辰を賀う使者を送った。金主が朝官の飲酒を禁じ違反者を死罪とする中、三国の使者が宴飲に及べば罪となるため、儀礼を終えぬまま帰った。
  • 翰林学士院を立てた。王僉・焦景顔らを学士とした。
  • 夏五月、史臣に『実録』の編纂を命じた。仁孝は王僉らに史事を掌らせ『李氏実録』を編纂させた。
  • 秋九月、金の使者が生誕日を賀いに来た。金主は宋平定後に陝西から夏を定める構想を抱いており、太常博士蕭誼忠を送って生辰を賀わせたが、伴宴した趙良・芭里昌明が「任相の功大にして国を挙げて帰心す」と答えたため、誼忠は黙り込んだという。
  • 任純忠を枢密副都承旨とした。純忠は任得敬の甥である。
  • 冬十月、四川宣撫使の呉璘が使者を送り出兵を求めたが、応じなかった。金主亮が四川を攻め大散関を扼したため呉璘は夏に挟撃を求める檄を送ったが、仁孝は宋への協力を示唆する返書を送りつつも、金の兵勢を恐れて実際には出兵しなかった。