西夏書事卷三十六 宋高宗(金大定二年) 紹興三十二年(仁孝天盛十四年) 1162年
会川城の奪取と対金関係の修復
- 春正月、麟州に兵を送ったが、境に至って引き返した。仁孝は金の大挙侵攻に乗じ兵二千を蔡園川・馬家巉・禿頭嶺に入れ麟州を攻めようとしたが、呉璘の命を受けた秦弼の説得で引き返した。
- 三月、金の会川城を取った。四川の兵も夏境に入り掠奪した。金主雍の即位間もない混乱に乗じ、盪羌・通峡・九羊・会川などの城砦を攻め取ったが、興元都統制の姚仲も金の鎮戎軍を破り、勝ちに乗じて夏境の累勝などの砦を掠めた。
- 夏四月、金の即位および万春節を賀い、あわせて互市を請うた。梁元輔・焦景顔らが登極を賀し、賀義忠・高慎言が万春節を賀った。金主は使者を宴し、辞去の際に互市を許した。
- 六月、境上で金兵を犒った。金の移剌窩斡が叛いて敗走する中、御史大夫白彦敬が夏への逃げ込みを防ぐため境上に屯兵し、仁孝は使者を送り労った。
- 秋八月、金の尊号受納を賀った。蘇執礼・王琪・趙良らを送り賀した。
- 九月、金の使者が生誕日を賀いに来た。使者は尚書左司員外郎の完顏正臣で、あわせて移剌窩斡平定を告げた。
- 冬十月、中書・枢密院を内門の外に移した。顧問の便のためであった。
- 十二月、金への侵地を返還し、宋への出兵を乞うた。仁孝は四川兵の侵入を恨み、得ていた盪羌・会川などの城砦を金に返し、宋の侵地の回復への出兵を請うた。金主は完顏達吉に陝西の利害を調べさせて報告させた。