西夏書事卷三十三 宋徽宗(遼大慶六年) 政和六年(乾順雍寕三年) 1116年
仁多泉城・靖夏城の攻防
- 春二月、熙河将の劉法が涇原軍と合流して仁多泉城を攻め、晋王察哥は劉法を恐れて進まず、孤立無援のまま一月余り持ちこたえた末に力尽きて降伏した城を、劉法は受け入れながらも皆殺しにし、死者は三千余人に及んだ。
- 秋七月、辺境を偵察していた李訛𠼪が熙河の哨兵に捕らえられ、徽宗の詔で誅殺されてその首級は甲庫に収められた。李訛𠼪は夏国で権勢を強め、子の遇昌としばしば侵入を重ねていた。
- 冬十一月、靖夏城を陥落させ皆殺しにした。宋の度重なる築城で夏の南境は狭まり、住民は砂漠や山谷に散っていたが、涇原がさらに靖夏城を築いて圧迫を強めたため、乾順は大軍を発し、無雪の時期に騎兵で地を鳴らして偽装しつつ地下道を掘って城内に侵入させ、陥落後は仁多泉城の報復として全員を殺した。
- 种師道が築いた安平砦の水源を夏の重兵が占拠したが渭州都監郭浩の精騎に奪還され、夏軍は石尖山に転じて攻めたものの、矢傷を負いながら奮戦した郭浩に諸軍が続き、夏兵は支えきれず潰走した。
- 十二月、使者を送り入貢した。熙河方面の築城が成功したことで宋の執政官らが夏使を叱責し、使者は不満のまま帰国した。