西夏書事卷三十 宋哲宗(遼壽昌三年) 紹聖四年(乾順天祐民安八年) 1097年
没烟峡襲撃と綏徳・麟州の攻防
- 春正月、夏の右廂の部族が河外に集結する隙を涇原帥毛漸が突き、没烟峡砦を奇襲して三千余級を斬った。
- 二月、于闐国王が瓜・沙・粛三州を破ったと宋に報告し、哲宗はこれを厚く遇した。
- 同月、夏は七万の兵で綏徳城を侵したが、鄜延官兵に阻まれ果たせなかった。
- 閏二月、梁氏は六万の兵で麟州の神堂堡を攻めたが、都監賈巌の奇襲により首領七人が戦死し敗走した。
葭蘆城・長波川の戦い
- 三月、梁氏は完成間もない葭蘆城を六日間包囲したが、知石州張構の援軍に阻まれ長波川まで退き、そこへ河東将折克行が迎撃し二千余人を失って敗走した。
大理河耕地の侵耕と各地の攻防
- 夏四月、乾順は境界近くの大理河東の地を夜間に耕させ、経略司の禁令にも従わなかった。
- 同月、涇原の霊平会をめぐる争いで鍾傳・苗履に敗れ、洪州救援に向かった監軍嵬名済も敗れて洪州を失い、族帳が焼き払われた。
- 環慶官兵が塩州を破ったが、帰路に夏兵の追撃を受けたのち塩州を取り返した。
- 夏は没烟峡に傾国の兵を集め平夏城の築城を妨げようとしたが、折可適・姚雄らの防戦により築城は成り、平夏城と名付けられた。
遼への通報と没薬の内附
- 五月、夏は宋の築城による侵食を遼に訴え、旧疆・城壁の返還を求めた。
- 左廂首領没薬が宋の調略により内附した。
飢饉と宥州の攻防
- 秋七月、国中が大飢饉となり、民は子女を遼・西蕃に売って糊口をしのいだ。
- 都統軍賀浪囉が宥州救援に向かったが、熙河将王愍に大敗し宥州は焼かれた。
夏州包囲と彗星による大赦
- 八月、宋の攻撃で夏州が包囲され、夏は再び遼に援兵を求めた。遼は宋に兵馬の撤退と城砦破棄を求める牒を送った。
- 彗星が現れたため、乾順は動員した兵を解散し、減膳・避殿・罪己の詔を発して大赦し、翌年の元号を改めることとした。
妹納僧哥の内投と白草原討伐
- 九月、蕃官妹納僧哥が宋の招諭に応じ内奔した。
- 冬十一月、熙・秦の官軍が白草原で夏の十万騎を破り天都山まで進んだが、夏側が事前に牛羊・穀物を移していたため得るところなく、兵糧が尽きて多くの兵が飢死し撤退した。