西夏書事卷三十 宋哲宗(遼壽昌二年) 紹聖三年(乾順天祐民安七年) 1096年

義合砦・塞門砦への侵攻

  • 春二月、境界画定の停滞に憤った梁氏は、哲宗が宰相章惇の議により分画交渉を打ち切り攻勢に転じさせたことを受け、綏徳境に兵を入れ義合砦を攻めて大掠した。
  • 三月、数万の兵で塞門砦を包囲し攻具を並べて対峙したが、鄜延の援軍来着を聞き退いた。

順寧砦・雞靶嶺の攻防

  • 秋八月、順寧砦を侵したが、涇原将張蘊の伏兵に遭い数百人が捕虜・戦死となり敗退した。
  • 九月、梁氏は右廂の首領に環慶帰順を装わせ官兵をおびき出したが、雞靶嶺で夏兵が四方から挟撃し、鍾傳・折可適らは勝利を得られぬまま全軍を退かせた。

金明砦の陥落

  • 冬十月、乾順は母梁氏を奉じ号五十万の兵で鄜延に侵入し、延州近郊まで遊兵を進めた。延州は守りが固く手が出せなかったため金明砦を包囲し、梁氏母子が自ら鼓を打って督戦し陥落させた。守兵二千五百人のうちわずか五人のみが脱出し、皇城使張輿が殺された。

金明俘虜の献上と葭蘆城の攻防

  • 十一月、宋は金明陥落を受け沿辺の防備を強化し安西城を築いた。梁氏は宋の討伐を恐れ、金明の俘虜を遼に献じ後ろ盾とした。
  • 十二月、知太原孫覧が葭蘆の要害を取ろうとし、夏は数万の兵を境に屯したが、孫覧は油断を誘って一気に撃破し葭蘆に城を築いた。