西夏書事卷二十六 宋神宗(遼太康八年) 元豐五年(秉常大安八年) 1082年
遼の仲介と永楽城の陥落
- 春正月、遼が夏のために和議を求めたが、神宗は秉常幽閉の経緯を挙げて拒んだ。
- 董氈に地を割いて和を求めたが拒まれた。
- 南牟城を修復したが、張守約の出兵を聞き中止した。
- 二月、遼へ捕虜を献じた。富弼はこの遠征が却って夏国に宋の武器・物資をもたらし北方の敵を利したことを嘆いた。
- 宥州に屯兵し横山降戸への内応を図った。
- 定西城を掠めた。
- 禹蔵花麻が内投を求めたが果たせなかった。
- 西蕃を襲う兵を出したが実行されなかった。董氈の警告により中止した。
- 三月、帰漢の蕃落を黄河渡で遮り、蘭州供奉官孫晞を殺した。
- 宥州観察使格衆が鄜州を侵したが敗れ捕らえられた。
- 夏四月、明堂川を扼して葭蘆を守ろうとしたが敗れて還った。
- 遼の仲介で董氈と和を求めたが拒まれた。
- 五月、都統軍嵬名妹精嵬・副統軍訛勃遇が淮安鎮を侵し敗死した。
- 六月、間者移都が鄜延で捕らえられた。
- 遼へ貢の使者を送った。
- 秋七月、鎮戎軍を大挙して侵し、王貴と戦い敗れた。
- 熨斗平を分掠した。
- 蕃族奔雅らを誘って降らせた。
- 八月、神木堡を侵し巡検使高素を殺した。
- 九月、統軍葉悖麻・哶訛埋が永楽を争ったが交戦せずに退いた。种諤の横山攻略構想と徐禧の永楽築城の経緯が詳述される。
- 永楽を急攻して陥落させ、給事中徐禧らを殺し、米脂城下に兵威を示した。宋軍は水不足に苦しみ大敗した。
- 晋州進士邢逢原を捕らえ降伏を勧めたが屈しなかった。
- 延安の孝女孟氏を葬った。父の戦死を悼み殉じた孝行が夏側にも評価された。
- 冬十月、西蕃の首領董氈が斫竜城を破った。
- 十一月、西南都統嵬名済が涇原へ和議を求める書簡を送った。宋への服属の経緯を説く長文が記される。
- 西蕃の益麻党征が降った。