西夏書事卷二十三 宋神宗(遼咸雍七年) 熙寧四年(秉常天賜禮盛國慶二年) 1071年

囉兀城の攻防と綏州境界交渉

  • 春正月、囉兀城を築いたが、延安・河東の兵の来攻を鉄冶溝で撃退した。种諤の献策により宋は横山攻略を図り、梁乙埋は迎撃した。
  • 都枢密使哆臘が馬戸川で敗れ、囉兀城を棄てて逃げた。种諤の計略により潰走した。
  • 二月、遼へ援軍を求め、遼は兵三十万の派遣を約した。
  • 撫寧堡を攻め破った。援軍のない宋軍の砦を陥落させた。
  • 順寧砦を包囲した。城内の娼婦が梁氏の醜聞を叫んで抵抗した逸話が伝わる。
  • 三月、囉兀城を回復した。神宗は補給の困難さから囉兀城放棄を決めた。王安石はこの失策を嘆いた。
  • 銀州将香崖が荒堆砦を争い、吐渾河で敗れ、その衆を率いて降った。
  • 夏五月、綏徳城へ使者を送り和議を議した。国内の疲弊と歳賜断絶に苦しんでいたことが背景にあった。
  • 罪状を記した詔書の発布を求めた。
  • 秋八月、遼の天安節を賀う使者を送った。
  • 九月、綏州の返還を求めた。学士景詢の作った表文が詳しく記される。神宗は返還を拒み、境界画定の方針を示した。
  • 冬十月、陝西・河東路が再び私市を禁じた。
  • 十二月、鈐轄結勝が麟州から帰った。