西夏書事卷二十 宋仁宗(契丹清寧七年) 嘉祐六年(諒祚奲都五年) 1061年
訛龐の誅殺と親政の開始
- 夏四月、没蔵訛龐が謀反を企て、誅殺され一族が滅ぼされた。訛龐は子の妻梁氏(諒祚の愛人)の密告により露見し、諒祚が自ら訛龐を捕らえて誅した。
- 后没蔵氏を廃した。
- 五月、屈野河の境界を正式に定めた。諒祚は親政を開始し、河東の使者と詳細な境界画定を行った。
- 六月、霊・夏の両州で大水が起きた。かつての凶兆の記録と重ねて評される。
- 秋七月、契丹への婚姻(尚主)を求めたが許されなかった。
- 九月、廃后没蔵氏を殺した。
- 梁氏を后に立てた。弟の乙埋を家相に任じた。
- 冬十月、初めて漢の礼を用いることとした。
- 十二月、正旦を賀う使者を送った。