西夏書事卷二十 宋仁宗(契丹清寧五年) 嘉祐四年(諒祚奲都三年) 1059年

屈野河紛争の激化と重臣誅殺

  • 夏五月、没蔵訛龐が屈野河の地を占拠した。境界の実態と歴史的経緯が詳述される。訛龐は戦勝を機に屈野河中央を境界と主張し、侵耕を拡大した。
  • 秋八月、没蔵訛龐が六宅使高懐正・毛惟昌を殺した。両名は諒祚の乳母の夫として重用されていたが、不正が発覚し訛龐に一族もろとも誅殺された。
  • 冬十月、契丹が西蕃の兵を約して涼州を取ろうとしたが果たせなかった。