西夏書事卷十七 宋仁宗(契丹重熙十二年) 慶曆三年(元昊天授禮法延祚六年) 1043年

契丹との緊張と重臣粛清

  • 秋七月、契丹に出兵を求めたが許されなかった。使者が宋に抑留されていると誤解した曩霄が軍を集め契丹に南伐を求めたが拒まれた。
  • 八月、契丹に従い呆児族を討った。契丹は戦果を独占し曩霄に分配しなかった。
  • 使者の如定聿捨らが帰った。宋の要求を突きつけられ屈服して帰国した。
  • 九月、月が東井に入った。
  • 寧令野利旺栄と弟の遇乞が罪を得て死んだ。曩霄は猜疑心が強く、乳母白嫗の讒言や种世衡の離間策により両名を疑い一族もろとも誅殺した。
  • 団練使訛疥が環州を侵し、蘇家族の薛乞に捕らえられた。
  • 涇原への出兵を試みたが、鄭戩の冷静な対応により引き返した。
  • 冬十月、党項を侵し、契丹の詰問にも応じなかった。
  • 十一月、青塩の宋への販売を求めた。使者への厚遇を引き出す一方、要求は拒まれた。
  • 党項の諸部を誘って契丹から離反させた。契丹との和睦の裏で密かに勢力を広げる動きであった。
  • 十二月、張延寿を遣わし再び和議を議したが、諸要求は容れられなかった。
  • 契丹は威塞城を築き、曩霄は呆児族に妨害させた。
  • 契丹は河清軍・金粛州を築き、曩霄は兵で争ったが克てなかった。