西夏書事卷十六 宋仁宗(契丹重熙十一年) 慶曆二年(元昊天授禮法延祚五年) 1042年

定川砦の大勝と渭州侵攻

  • 秋七月、大旱で黄鼠が穀物を食い荒らした。
  • 謨寧令野利仁栄が没した。元昊の制度創設を支えた重臣で、蕃俗を重んじ厳しい刑賞による統治を説いた。元昊は三度喪に臨み哀悼した。
  • 八月、妃没𠼪氏を納れ、天都山に宮室を営んで住まわせた。守将野利遇乞がこれを不満とし、元昊に疎まれる端緒となった。
  • 環州の間者を追い麟州に入り青塞堡を攻めたが、王凱との戦いに勝てなかった。
  • 九月、張元・呉昊が随州の家族を策略で取り戻した。
  • 閏九月、鎮戎軍を攻め、涇原路副総管葛懐敏らを殺した。元昊は張元の献策により天都に十万の兵を集め、定川砦で葛懐敏軍を包囲殲滅した。
  • 渭州にまで至り大掠奪を行った。
  • 冬十月、東の潘原へ進み彭陽で戦い敗績した。景泰の伏兵により大敗した。
  • 彭陽から戻り吐谷渾諸蕃で馬を購入させたが、契丹がこれを禁じた。
  • 十一月、馬蹄川を争ったが勝てなかった。
  • 観察使嗟南禹浪が内投した。
  • 十二月、弧矢の方角に星が現れた。
  • 太子寧明が没した。仁慈な性格で殺生を戒める言葉を残し、元昊に疎まれつつも遺奏で民の困窮を訴えた。元昊はこれに哀悼の意を示した。
  • 寧令哥を太子に立てた。