西夏書事卷十五 宋仁宗(契丹重熙十年) 慶曆元年(元昊天授禮法延祚四年) 1041年
好水川の戦いと麟府攻防
- 春二月、渭州方面を侵し、好水川で官軍を誘い出して破り、行営総管任福らを殺した。元昊は偽って和議を求めつつ精兵十万を伏せ、任福軍を誘い込んで包囲殲滅した。福以下多数の将が戦死した。
- 劉璠堡を包囲したが、劉政の援軍により撤退した。
- 三月、再び延州に嫚書を送った。無礼な文言で数々の要求を並べた。
- 夏四月、儀・秦の二州を掠めたが、曹琮の伏兵により退いた。
- 沙州回鶻が侵入したが撃退した。回鶻は元昊への服属に不満を持ち宋への協力を申し出た。
- 中書令張元を相国とした。
- 五月、間者を涇原に送り込んだ。韓琦の寝所に刺客が入った逸話が伝わるが、実際には軍心を揺さぶる示威行為であったとされる。
- 秋七月、河東の属戸乜羅の手引きで麟州を攻め、十八日の包囲の末に撤退した。麟州は水源に乏しく苦しんだが、守将の機知により持ちこたえた。
- 八月、寧遠砦を破り、府州を包囲したが克てず、豊州へ転じてこれを取った。
- 唐隆鎮を従え首領来守順らを降した。
- 九月、再び麟・府を掠め、張岊と龍門川で戦ったが勝てなかった。
- 契丹へ捕虜を献じた。興平公主の一件で契丹との関係が緊張していたため、和好を求めての行動であった。
- 冬十月、容州刺史耶布移守貴が琉璃堡に拠ったが、張亢の夜襲により敗れ堡を棄てて逃げた。
- 十一月、建寧砦を争って大敗し、十二月、諸路の兵をすべて撤収した。張亢の計略により虎翼軍が奮戦し夏軍は大敗した。