西夏書事卷七 宋眞宗(契丹統和十九年) 咸平四年 1001年

回鶻・吐蕃の対抗と靈州陥落への布石

  • 夏四月、保吉が西州回鶻を攻めようと謀り、回鶻は宋に援兵を求めた。西州回鶻可汗の禄勝は保吉を捕らえて献じる意向を示し、真宗はこれを嘉した。
  • 吐蕃六谷部の首領潘羅支が兵を率いて討伐に来た。李継和の提言により羅支は鹽州防禦使兼霊州西面都巡検使に任じられ、部下を率いて進討した。
  • 保吉が掠めた𦍑の嵬逋が内投したが、保吉の追撃は及ばなかった。
  • 秋七月、恒・環等州を攻略したと契丹に告げた。実際とは異なる誇張であり、繰り返される虚偽の報告として厳しく記される。
  • 八月、使者を遣わし馬を献じた。なお賜姓名を称していたが、辺境侵掠は激化する一方であった。
  • 霊州を攻めたが陥落させられず、周辺を屯田化した。宰相張斉賢・楊億らは霊州放棄を進言したが、真宗は従わず王超に六万の兵で援護させた。
  • 九月、定州・懐遠鎮を襲い、鎮将李賛は自焚して死んだ。保静・永州を連取し、清遠軍を攻め落とした。長期の攻防の末、城内の兵糧が尽き陥落した。
  • 冬十月、保静県を静州に昇格させた。
  • 唐隆鎮を攻め、麟州兵と柳撥川で戦い勝てなかった。
  • 十二月、河外の砦を攻め、守将李瓊を降した。
  • 部将臥浪已が宋に内降した。