編纂の趣旨
- 晋・唐以来、多くの国の史書が編まれてきたが、宋代に並び立った遼・金には正史があるものの、西夏には専門の史書がない。西夏は砂漠地帯にあり住民の多くが羌夷で、元昊が独自の蕃文字を作って国事を記録したため、国が滅んだ後は文意が読み解けなくなり、由来の伝承も失われた。宋・遼・金の三史には附伝はあるが詳しくないため、本書を編んで欠を補おうとした。
- 『三十国春秋』『十六国春秋』『十国紀年』などは紀伝体で正史に倣うが、西夏の事跡は諸史に散見するのみで朝貢・征伐など数点に限られ、地方志にも人文の記録が乏しい。そこで紀伝体を用いず、建国から滅亡までの経緯、代々の統治の理非、君主の賢愚を条ごとにまとめ、綱を立てて目を付す体裁とし、『書事』と名付けた。
- 継遷の建国、元昊の称帝は、ほぼ宋朝の存続期間と重なる。「西夏」の呼称も宋代に始まったので、宋を基準に記述する。ただし契丹・女真の由来に倣い、思恭が唐末に夏綏の地を治めてから五代を経て晋に爵せられた経緯も遡って首巻に記した。
- 朱子『通鑑綱目』は正統でない国の年号を大書しない例だが、明代の屠氏・項氏の『十六国春秋』は晋・宋の正統に年を繋げる。李氏は羌戎の出で唐・宋に臣従したため、本書では終始中国の年号を冠し、元昊の僭称以後のみ改元と年数を併記する。
- 『綱目』が正統の年の下に僭国の年号を分注する例に倣い、西夏が遼・金と関わる事跡には両国の年号を注記して考証の便とするが、関連がある場合に限り付す。
- 元代編纂の三史のうち『金史』の年月は比較的詳しいが他は叙述が混乱しているため、三史の帝紀・夏国伝のほか『東都事略』『続資治通鑑長編』『宋元通鑑』『宋元続綱目』『続資治通鑑後編』などを参照し、記録に矛盾のないものを採録した。
- 宋・遼・金の史書から夏の事跡を借りて叙述する際、主客が逆転しやすいため、本書は西夏を主とし他史は参照に留め、適宜刪節して主客の別を明確にした。
- 古来、一代の君主には論賛を付す例に倣うが、西夏の系統は三度断絶しており(思恭から彝昌まで、仁福から継捧まで、いずれも未だ君主として成らぬまま断絶)、その場合は総論のみ付した。継遷が西平に都を建て、徳明が夏王に封じられ、元昊が国主を称した以降は、事跡を述べて小論を付す。
- 宋・遼・金の記録に西夏に関わる事跡があれば収録するが、時地が不詳で原委が分からないものは、条の後に「按」を付すか別に付例を立て、疑いを示すに留めた。
- 天文・地理・職官・選挙・礼楽・兵刑などの志は正史には別立てされるが、西夏には典籍が伝わらず詳しい記録がないため、管見の及ぶ範囲で若干条を記すに留めた。
- 『西夏事略』『西夏須知』『夏国枢要』『夏台事迹』などの諸書は記述にばらつきがあり正史と食い違うところが多い。奏章・地誌・家系記録・雑談・野説なども異同があれば根拠を詳しく確かめた上で自らの見解で訂正した。
- 史文は浩瀚だが編年体は簡潔を旨とするため重複や煩雑を削ったが、争城・争地など類似の記事や賀節・賀正の辞も、正文に付列してなるべく漏らさぬようにした。
- 旧籍の伝わりが乏しい西夏の史料を集め、異同を照合してまとめた。後の作者の参考になれば幸いである。
- 宋元の学者の史論を参照し、是非邪正・興亡得失について所々に論評を付し、矛盾を避けるよう努めた。誤りがあれば正していただきたい。
- 司馬遷が『史記』を著した際も一人の力では精粗が生じたというが、本書も同志の協力を得て数年をかけて成った。協力者の氏名を記して謝意を表す。