十七史百將傳卷八 隋史萬歲

出自と若年の武勇・左遷

  • 史万歳、京兆杜陵の人。若い頃より英武で騎射に長け驍捷なこと飛ぶがごとく、兵書を好んで読み占候にも精通した。尉遅迥の乱に際し万歳は梁士彦に従いこれを討った。軍が馮翊に次ぐと群雁が飛来するのを見て、万歳は士彦に「行列の中の三番目を射させてください」と請い、これを射ると弦に応じて落ち三軍は悦服した。迥の軍と遭遇すると戦うたびに先登した。鄴城の陣では官軍がやや退いたため、万歳は左右に「事は急だ、私が破る」と言い、馬を馳せ奮撃して数十人を殺し、衆もまた力を合わせ官軍は振るった。
  • 爾朱勲が謀反により誅に伏すと、万歳もこれにかなり関わったため除名され敦煌の戍卒に配された。その戍主は甚だ驍武で単騎で深く突厥の中に入り羊馬を掠め取り大きな戦果をよく挙げ、突厥は多寡にかかわらずこれに敢えて当たる者がなかった。その人はこれを深く誇り、しばしば万歳を罵り辱めた。万歳はこれを患い自ら武勇があると言った。戍主が馳射を試させると巧みで、戍主は笑って「小人よ、なるほどできるものだな」と言った。万歳が弓馬を請い再び突厥の中を掠めると大いに六畜を得て帰った。戍主は初めて彼を善しとし、常に共に行き突厥の中に数百里も入り、その名は北夷に響き渡った。

突厥戦での活躍

  • 竇栄定が突厥を撃った際、万歳は轅門に詣で自ら効を尽くしたいと願い出た。栄定はもとよりその名を聞いており見て大いに悦んだ。そこで人を遣わし突厥に「士卒に何の罪があってこれを殺させるのか、ただそれぞれ一人の壮士を遣わして勝負を決めるべきだ」と言わせた。突厥はこれを承諾し一騎を遣わして挑戦させた。栄定は万歳を出してこれに応じさせると、万歳は馳せてその首を斬って帰った。突厥は大いに驚き再び戦おうとせず軍を引いて去った。

江南の平定と南寧の遠征

  • 高智慧らが江南で乱を起こすと、万歳は行軍総管として楊素に従いこれを討った。万歳は二千の衆を率い東陽から別道を進み、嶺を越え海を渡り、陥した溪洞は数えきれなかった。前後七百余戦、千余里を転戦し、十旬もの間音信が絶えたため遠近の人々はみな万歳を没したと思った。万歳は水陸が阻絶し使者が通じないため書を竹筒に入れ水に浮かべた。汲む者がこれを得て素に告げると、素は大いに悦びその出来事を止めた。高祖はこれを嘆じ、その家に銭十万を賜い、還って左領軍将軍を拝した。
  • 先に南寧の夷である爨翫が降り、昆州刺史を拝されたがまもなく再び叛いた。そこで万歳を行軍総管として衆を率いてこれを撃たせた。蜻蛉川から入り弄凍を経て小勃牛擬に次ぎ南中に至った。賊は前後の要害に屯拠していたが万歳はことごとくこれを撃破した。数百里を行くと諸葛亮の紀功碑を見た。その背に「万歳の後、我に勝る者はここを過ぎん」と銘があった。万歳は左右にその碑を倒させて進んだ。西洱河を渡り渠濫川に入り千余里を行き、その三千余部を破った。諸夷は大いに懼れ使いを遣わして降を請い径寸の明珠を献じた。そこで石に刻んで隋の徳を頌美させた。
  • 万歳は使者を馳せ奏上させ爨翫を入朝させることを請い、詔によりこれを許された。爨翫は密かに二心を抱き入朝しようとせず、万歳に金宝を賂ったため、万歳はこれにより爨翫を許して還った。蜀王秀は時に益州にあり、万歳が賄賂を受けたことと爨翫が再び反したことを知り、これを奏上した。上は事の究明を命じ、事がすべて事実であったため万歳は死罪に当たった。上は万歳を責めて「金を受けて賊を放ち、士馬を重ねて労した。朕は将士が野に晒されることを念じ寝食も安まらないでいるのに、お前は社稷の臣と言えるのか」と言った。万歳は「臣が爨翫を留めたのは、その州に変事が起こることを恐れその鎮撫を留めたのです」と答えた。上は万歳の心に隠し立てがあるとして大いに怒り斬ろうとしたが、左僕射高熲が進み出て「史万歳の雄略は人に過ぎ、兵を用い師を率いるたびに身を先んじて士卒に立たぬことなく、ことに撫御に長け将士は喜んでこれに力を尽くします、古の名将もこれに過ぎることはできないでしょう」と述べると、上の怒りはやや解けた。

晩年と非業の死

  • 開皇の末、突厥の達頭可汗が塞を犯すと、上は晋王及び楊素を霊武道から出させ、漢王諒と万歳は馬邑道から出させた。万歳は柱国張定和・大将軍李薬王らを率いて塞外に出て大斤山に至り虜と遭遇した。達頭は使者を遣わし「隋の将は誰か」と問い、斥候が「史万歳です」と報告すると、突厥はさらに「かの敦煌の戍卒ではないか」と問い、斥候が「そうです」と答えると、達頭はこれを聞いて懼れて引き去った。万歳は百余里も馳せ追い大破し数千級を斬った。
  • 楊素はその功を害しようと万歳を讒言し「突厥はもともと降っており、寇となったことはなく、塞上に来て畜牧していただけだ」と述べたため、その功は退けられた。時に率いていた士卒で朝廷に冤を訴える者が数百人あり、万歳は彼らに「私が今日お前たちのために上に極言しよう、事はきっと決着するだろう」と言った。上に見えて将士に功があり朝廷に抑えられていることを述べると、その言葉や気色は激しく上の意に逆らった。上は大いに怒り左右に命じ万歳を打ち殺させた。死んだ日、天下の士庶でこれを聞いた者は識る識らぬにかかわらずこれを冤惜しまぬ者はなかった。
  • 万歳は将としては営伍を厳しく治めず士卒それぞれの安んずるところに任せ夜の警戒もしなかったが、虜もあえてこれを犯さなかった。陣に臨み敵に対しては応変が方に無く、良将と称された。

史論

  • 孫子は「三軍はその気を奪うことができる」というが、万歳が挑む騎を射殺すると突厥は戦わず、その威名を聞くと達頭が引き去ったのがこれに当たる。