安平の脱出と即墨の防衛
- 田単は斉の疎遠な一族で、閔王の時代は無名の市掾であった。燕の楽毅が斉を攻め閔王が莒に逃れ燕軍が斉を席巻すると、田単は安平で一族の車軸の端を切り鉄の輪をかぶせておいたため、安平陥落の混乱で他の者が車軸を折って捕らえられる中、田単一族のみ脱出して即墨に逃れた。莒・即墨のみが燕に下らず、即墨の大夫が戦死すると城中は田単を推して将軍とした。
反間による楽毅の失脚
- 燕の昭王が没し恵王が即位すると、田単は「斉王は既に死に落ちぬ城は二つだけ、楽毅は誅殺を恐れて帰国せず斉討伐を名目に南面して王たらんとしている、斉人が恐れるのは他の将が来ることだけだ」との反間を流し、恵王は騎劫に将を代えさせ、楽毅は趙に亡命した。
神事と反間による士気の操作
- 田単は城中に食事の際に先祖を祭らせ、飛来する鳥に供物を与えることで「神が我に教えを下す」と称し、一兵卒を神師として祀り上げて命令を権威づけた。「燕軍が捕らえた斉兵の鼻を削ぎ前列に置けば即墨は敗れよう」との虚言を流すと燕軍はその通りに実行し、城中の斉人は怒りを十倍にして士気を高めた。さらに「燕が城外の墓を暴けば心が挫ける」と流言すると燕軍は墓を暴いて死者を焼き、城内から見た斉人は怒りを新たにした。
火牛の計による燕軍撃破
- 田単は自ら土木作業に加わり、妻妾も兵列に加えて士卒と労苦を共にし、老弱・女子を城壁に立たせて偽って降伏を約し、富家に燕将へ賄賂を贈らせて油断を誘った。そして千余頭の牛に赤い絹の衣を着せ五彩の龍紋を描き、角に刃を括り付け、尾に葦を巻いて油を注ぎ火をつけ、城壁の穴から夜に放った。壮士五千人が後に続き、燕軍は龍のような牛の群れに驚愕して大混乱に陥り、田単軍と城中の老若男女の太鼓・銅器の音に呼応して総崩れとなった。燕将騎劫は討たれ、斉は七十余城を回復、莒にいた襄王を臨淄に迎えて田単は安平君に封じられた。
史論
- 孫子は「よく士卒の耳目を愚にする」と説くが、田単が神託を装って民衆を動かしたのはこれに当たる。また「敵を殺すのは怒りによる」というが、燕軍に斉兵の鼻を削がせて士気を高めたのもこれ、「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」というが、卑辞をもって降伏を装いながら奇兵を放ったのもこれである。