十七史百將傳卷二 趙廉頗

完璧帰趙後の確執

  • 廉頗は趙の良将で斉を大破し晋陽を取り、上卿となって勇名を諸侯に知られた。藺相如も上卿となりその位は廉頗の上に置かれた。廉頗は「自分には攻城野戦の大功があるのに、口先だけの相如が上位にあるのは恥」と不満を漏らし、「相如に会えば必ず辱めてやる」と公言した。相如はこれを聞いて廉頗との対面を避け、朝廷でも病と称して列を争わず、道で廉頗を見かけると車を引いて避けた。

刎頸の交わり

  • 相如の家臣が「あなたを慕って親戚を離れて仕えているのに、廉頗を恐れて隠れるとは」と辞去を申し出ると、相如は「秦王の威にも屈せず廷叱した自分が廉将軍だけを恐れるはずがない。強秦が趙に手を出さぬのは我々二人がいるからだ、私が耐えるのは国家の急を私怨より先にするためだ」と説いた。これを伝え聞いた廉頗は肉袒して荊を負い、相如の門を訪れて謝罪し、二人は刎頸の交わりを結んだ。この年、廉頗は東で斉を攻めて二軍を破り、二年後には斉の幾を抜き、後に魏の防陵・安陽も攻め落とした。

史論

  • 孫子は「令が平生から行き渡っている者は、衆と心を通わせられる」と説くが、廉頗が晩年に「趙の兵を用いたい」と願ったのはこれに当たる。