十七史百將傳卷一 吳孫武

呉王への出仕

  • 斉の人、孫武子は兵法をもって呉王闔廬に仕えた。闔廬が「十三篇はすべて読んだが、小さく兵を試せるか」と問うと、孫武は「できる」と答え、さらに「婦人でも試せるか」との問いにも「できる」と応じたため、宮中の美人百八十人が集められた。

婦人隊での軍令の実演

  • 孫武は二隊に分け、王の寵姫二人を隊長に立てて戟を持たせ、心と左右手・背の向きに従って進退する号令を教えた。最初は号令が徹底せず婦人たちが笑い崩れたため、孫武は「約束が明らかでなく申令が習熟していないのは将の罪」として再度号令を徹底させたが、なお笑いが止まなかった。そこで「既に令が徹底したのに従わないのは吏士の罪」として隊長二人の斬首を命じた。
  • 呉王が寵姫の処刑に驚き使者を送って止めようとしたが、孫武は「臣は既に将として命を受けた以上、軍にあっては君命でも受けぬことがある」として二人を斬った。以後、婦人たちは寸分違わず号令に従い、声一つ立てなくなった。
  • 呉王は当初観閲を拒んだが、孫武は「王は言葉を好むだけで実を用いようとしない」と述べた。結局、闔廬は孫武の用兵の才を認めて将軍に任じ、呉は西で強楚を破って郢に入り、北で斉・晋を威圧して諸侯に名を知られた。孫武の功績が大きい。

史論

  • 孫子は「法令の徹底」と「君命も受けざる場合がある」ことを説くが、孫武が二人の隊長を斬った故事はまさにこれを体現している。