十六国春秋西涼錄三 宋繇
苦学の末の出仕
- 宋繇、字は体業。燉煌の人で代々張氏に仕えた家柄であったが、父は繇が生まれた頃に殺され幼くして両親を失った。若くして志を持ち、妹婿の張彦に従って酒泉で学び、経史・諸子百家をことごとく通覧した。呂光に秀才として仕え、後に段業のもとへ奔ったが、業に才がないと見て暠のもとへ奔り、従事中郎・右将軍・燉煌護軍・左長史を歴任し遺命を受けて輔政した。位は顕職に至ったが家に余財はなく、儒学を好み儒士を厚遇した。
沮渠蒙遜による重用
- 沮渠蒙遜が酒泉を平定した際、繇の家からは書数千巻と塩米十余斛が見つかっただけであった。蒙遜は「私は李歆を得たことを喜ばない、宋繇を得たことこそ喜ばしい」と嘆じ、尚書吏部郎中として人選の任を委ねた。蒙遜の死後は子の茂虔に仕え、魏が涼州を併合すると茂虔に従って魏に至り、そこで卒した。