十六国春秋西涼錄三 暠妻尹氏

内助の功と歆への諫言

  • 尹氏は天水冀の人で尹文の娘である。幼くして学を好み清らかで弁が立ち志節があった。再嫁して暠の継室となり、前妻の子を我が子以上に慈しみ、暠の創業を助けたため西州には「李尹王燉煌」(李氏と尹氏が燉煌の王)という諺があったという。
  • 歆が即位し太后と尊ばれると、沮渠蒙遜への出兵を企てる歆に「先王は臨終に用兵を慎み境を保ち民を安んじて天の時を待つよう戒めたはずだ、蒙遜は驍武で用兵に長けお前の敵ではない、静かにして時を待てばよい」と諌めたが、歆は聞き入れず敗れて戦死した。

亡国後の毅然とした態度

  • 蒙遜が姑臧に入り尹氏を労うと、尹氏は「李氏は胡に滅ぼされた、今さら何を言うことがあろうか」と応じた。国の滅亡にも憂いの色を見せない尹氏に理由を問う者があると「存亡死生はみな天命による、余生を惜しんで人の臣妾となるべきか」と答え、蒙遜はこれを嘉して赦し娘を茂虔(蒙遜の子)に娶らせた。
  • 後に娘が魏へ嫁いだ地で卒すると、尹氏は泣かず「国が破れ家が滅んでから死ぬのが遅かった」と述べた。伊吾の孫たちのもとへ行きたいか探りを入れられた際は偽ってこれを否定し、ひそかに伊吾へ逃れた。追手には「首を取って帰るというなら私は決して戻らない」と告げて退けさせ、伊吾で年七十五にして卒した。