十六国春秋南涼錄三 孟褘

忠節を評価されての厚遇

  • 孟褘は武威姑臧の人。呂隆に仕えて昌松太守となった。傉檀が禕を顕美で攻め捕らえて責めると、禕は「私は呂氏の厚恩を受け藩屏の任を受けた身、大軍がすぐに至ってすぐに帰命すれば執事に罪を得るのではと恐れました」と応じた。傉檀は大いに喜んで縛を解き、忠烈を嘉して左司馬に任じたが、禕は「私は城を守る立場にありながら自らを全うできませんでした、もし姑臧で誅されることができれば死してなお朽ちません」と辞退し、傉檀はその義を評価してこれに従った。

涼国の栄枯盛衰への諫言

  • 隆が秦に滅ぼされると、禕は姚興に仕え涼州刺史王尚の別駕・司馬となった。興が後に傉檀を尚に代えて涼州とすると、禕は宣徳堂での宴で「昔、張文王(張駿を指す)は城を築き万世の業とした、しかし瓦解した、梁熙・呂氏も同じ末路を辿った、富貴は常なし、ただ信順のみが久安をもたらし仁義のみが永固をもたらす、どうか大王はこれに努めてください」と諌め、傉檀は「君でなければこの直言を聞くことはなかっただろう」と謝した。