十六国春秋南涼錄三 曇瞿

神異な行いと帰依

  • 沙門曇瞿は出自不詳。蔬食苦行に励み常に墓場の樹下に住み神力で人々を教化した。錫杖を「般若の眼」と称して人々に礼拝させ、衣服を贈られても地に投げ捨てるが後日汚れなく持ち主に戻る、生死貴賤を寸分違わず言い当てるなど、その神異ぶりに人々は驚嘆し、仏に帰依する者が甚だ多くなった。

傉檀への戒めと信頼

  • 猜疑深く多くを殺害していた傉檀に、瞿は「安坐して無為でいれば天下は定まる、兵を窮め殺を好めば禍が身に及ぶ」と諌めた。傉檀が七日の断食で神明を試すと瞿は飢渇の色を見せず、ひそかに餅を届けようとした使者にも「私は誰を欺こうとも国主を欺くことなどしない」と告げたため、傉檀は深く敬い行いを改め殺生を慎んだ。国人はその恩恵を蒙りみな「聖人」(一に「大師」と称したともいう)と称えた。傉檀の娘の重病に際しては「開けば生き、間に合わなければ死ぬだろう」と後宮の門を急ぎ開けさせ間に合わせた。晋の義熙三年(407年)、傉檀が赫連勃勃に破られると、瞿の行方は知れなくなった。