直言の臣
- 楊褒、略陽の人。特に仕え将兵都尉となった。雄が帝号を称すると左僕射・尚書令に累進した。直言をよくし敢えて諫め、忌憚するところがなかった。雄が蜀を得たばかりの頃、財用が不足しており、諸将は金銀珍宝を進めることで官を得る者が多かった。褒は「陛下は天下の主として天下の英豪を網羅すべきです、どうして官爵を金銀で買わせるようなことをなさるのですか」と諫め、雄は言葉を低くして詫びた。後に雄は酒に酔い中書令を杖で押し倒したことがあった。太史令の褒は「天子は穆穆として威儀があり、諸侯は皇皇として立派であるはずです、どうして天子が乱暴を働くようなことがありましょうか」と奏上し、雄は恥じ入りやめた。雄が何事もなく城外へ少し出た際、褒は後から矛を持ち馬を馳せ雄を追い越した。雄が怪しみ問うと、褒は「そもそも天下の重責を統べることは、私が悪い馬に乗り矛を持つようなものです、急げば自ら傷つくことを恐れ、緩めれば手綱を失うことを恐れます、それゆえ馬は走っても制御されないのです」と答えた。雄はこれを悟りただちに引き返し、二度と出なかった。晏平三年(308年頃)冬十二月、褒は卒し丞相・太師を贈られ、荘と諡された。