十六国春秋楊褒
楊褒は略陽の人。李雄に仕え左僕射・尚書令となり、直言を憚らず、蓄財目当ての売官や君主の横暴を諌めた忠臣として知られる。
直言の臣楊褒
- 楊褒は略陽の人である。特に仕えて将兵都尉となった。雄が尊号を称すると累遷して左僕射・尚書令となり、直言して敢えて諌め忌諱するところがなかった。雄が蜀を得たばかりで用度が足らないとき、諸将は進むごとに金銀珍寳を差し出し多くこれをもって官を得ていた。褒は諌めて言った、「陛下は天下の主として当に四海の英豪を網羅すべきです。どうして官爵をもって金銀を買われるのですか」と。雄は遜辞してこれに謝した。
- 後に雄は酒に酔って中書令を推し太史令を杖打ったことがあった。褒は奏して言った、「天子は穆穆、諸侯は皇皇。どうして天子でありながら伯(覇者の粗暴)をなすことがありましょうか」と。雄は慙じて止めた。雄が事なく小出したとき、褒は後で矛を持ち馬を馳せて雄を過ぎった。雄が怪しんでこれを問うと、答えて言った、「それ天下の重を統べる者は、臣が悪馬に乗り矛を持つようなものです。これを急にすれば自ら傷むことを慮り、これを緩くすればその失うのを懼れます。これをもって馬は馳せても制されないのです」と。雄は悟り、すぐに還って以後は再び外出しなかった。
- 晏平三年(308年)冬十二月、褒は卒した。丞相太師を贈られ諡を莊とした。