十六国春秋蜀錄四 李庠 字玄序

気節と非業の死

  • 李庠、字は玄序、特の第三弟。若くして気節と烈しさで郷里に称えられ、郡に仕え督郵・主簿となり、任にあたるたびに美しい功績で知られた。元康四年、孝廉に察挙されたが就かず、後に騎射に優れていることから良将に挙げられたがこれも就かなかった。州郡は庠が文武を兼ね備えていることから房異(一に秀異とも)に挙げようとしたが病を理由に固辞し、州郡はこれを聞かず、その名を朝廷に上申したところ、中護軍から切に召され、やむを得ず応じ中軍都騎督を拝命した。弓馬に優れ膂力は人に勝り、当時の評は鮮卑の文鴦になぞらえられた。洛陽が乱れ始めると病と称し官を去った。任侠を性とし人の危難を救うことを好んだため、州の人々はこぞってこれに従った。六郡の流民と共に梁益へ難を避けた際、道中で病や飢えに苦しむ者があれば常に世話をして助け、施しをして人心を大いに得た。
  • 蜀に至った当初、益州刺史趙廞はこれを敬い非凡と評し(一に深く重んじたとも)、兵法を論じるたびに称賛し、常々親しい者に「李玄序はまさに一時の関羽・張飛だ」と語り、冠軍将軍とした。特が異志を抱くに及び腹心の任を委ね、部曲督に表し六郡の壮勇を招き集めさせると一万余人に達した。叛いた羌族を討った功により威寇将軍に表し赤幢曲蓋を仮し陽泉亭侯に封じ、銭百万・馬四十匹を賜った。廞はその才を忌み害しようとし大逆の罪を誣告し殺した。殺された日、六郡の士庶で涙を流さない者はなかった。享年五十五。雄が成都王位に即くと梁武王を追諡した。