十六国春秋前涼錄六 索襲
隠者の風格
- 索襲、字は偉祖。燉煌の人。虚静で学を好み、州郡の召命にたびたび応じず、孝廉・賢良方正に挙げられても皆病を理由に辞退した。陰陽の術に思いを馳せ『天文地理』十余篇を著し多くの啓発を与えたが、当世とは交わらず、独り言を言ったり独り笑ったり、長嘆息して涙を流したり、問われても答えなかったりした。
- 茂の時代、燉煌太守(一に武威とも)の陰澹が訪れ終日語り合い、楽しんで帰るのを忘れるほどであった。澹は郷射の礼を行おうとし襲を三老に招こうとしたが、襲は「孔子は至聖でありながら召しがあればすぐに赴き、孟子は大徳でありながら招聘なくしては赴きませんでした、いまのお招きは道を尊び教えを崇めるためであり、爵位のためではないと思いますが」と応じた。まもなく病で卒した。享年七十九。澹は素服して葬儀に参列し銭二万を贈った。
- 澹は「世人が求めるのは富貴であり、目が好むのは五色であり、耳が楽しむのは五音である、しかし先生は衆人が求めるものを棄て衆人が棄てるものを求めた、黔婁の高潔さも荘子の無欲もこれには及ばないだろう」と述べ、玄居先生と諡した。