十六国春秋前涼錄六 索孚
諫言と最期
- 索孚、字は国明。燉煌の人。弓の名手で十発中八、九発命中させた。ある人が射の法を問うと、孚は「射の法は人主が天下を治めるようなものだ、弓が規格に合わず矢が真っ直ぐでなければ名人でも命中させることはできない、才が官職にふさわしくなければ万事が荒廃する、堯舜のような君主であっても治めることはできない」と答えた。駿に参軍として招かれ、駿が石田(不毛の岩地)を開墾しようと議論した際、孚は「石を移して田とし土を運んで穀物を植えれば、一畝あたり百石を損なうのに収穫はわずか三石にすぎません」と諫めた。駿は怒り伊吾都尉に左遷したが、後に累進して張掖太守に至った。後に河州刺史張瓘が枹罕を鎮守し兵力が強盛であったため、祚はこれを猜疑し孚を代わりに枹罕鎮守に任じたが、瓘に殺された。