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十六国春秋
童巽
柩を守った孝子
童巽は字を子挙といい、博学で才があった。太守京兆の諒が上掾に挙げ、主簿・功曹を歴任した。諒が官に卒すると、巽は衰絰して喪を送ったが、道中で冦虜に遭った。衆はみな散り走ったが、巽は身をもって柩を蔽い慟哭して血を嘔いた。賊が棺を破ろうとすると、巽は叩頭して救いを請い、頭が破れ血が流れた。賊は義としてこれを釈した。これによって名を顕した。
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