十六国春秋隂澹
忠烈の股肱
- 隂澹は燉煌の人である。弱冠にして才行忠烈で、州から治中從事に請われ、澹は身を割いて枉を訴えた。張軌はこれを股肱に任じ、機密に参与させ、督護參軍・武威太守に転じた。軌が涼州を保ったのは澹の力が多かった。
- 澹はかつて索紞に占夢の書を求めた。紞は言った、「昔、太学に入った時、一人の父老が主人となり、その人は知らないことがなかった。また姓名を匿し隠者に似ていた」と。紞はこれによって父老に占夢の術を問い、審らかに測ってこれを説いたが、実際には書がなかった。ついに与えなかった。
- 張駿が嗣位すると、澹の弟の鑒は鎮軍將軍となった。駿は陰氏の門宗が強盛で功も多いことから忌み害し、主簿魏纂を諷して鑒に謀反を誣告させ自殺を逼った。これによって大いに人情を失った。まもなく駿は病に臥し、鑒が祟りをなすのを見て遂に死んだ。その後三年、纂もまた病んで鑒が側にいるのを見て、また死んだ。