十六国春秋汜瑗

兵死の予言

  • 汜瑗は字を伯玉といい、燉煌の人である。同郡の宋配・陳琠とともに路で人相見に会った。相者は言った、「三人とも二千石になるが、汜生は腹に逆風の相があり、まさに兵をもって死に後継ぎがないだろう」と。
  • 瑗は張軌に仕えて中督護・東羌校尉となった。韓稚が秦州刺史張輔を殺して兵を挙げ叛乱を謀ったとき、瑗は衆二万を率いて稚を討ち、まず稚に書を送って速やかに降ることを命じた。稚はついに衆を率いて迎え降ったが、ほどなく瑗は乱兵に殺された。