宋混の忠貞と輔政
- 宋混は字を玄一といい、燉煌の人である。重華に仕えて驍騎將軍となった。張瓘が祚を誅したとき、混は兵を起こしてこれに応じた。瓘が政を専らにし苛虐で情のままにふるまうに及び、諸宋を誅殺して玄靚を廃して自立しようとしたが、混はこれを知り弟の澄と衆を率いて瓘を誅した。
- 玄靚は混を驃騎大將軍・尚書令として輔政させた。混が昼寝していると瓘が屋根から下りてきて忽ち柱の中に入るのを見た。その柱の状は火に焼けたようであったが、掘ってみると何もなかった。そこで大いに驚き怖れ、それによって病に臥した。
- 玄靚および祖母馬氏が見舞いに行き言った、「将軍がもし万一のことあれば、寡婦孤児は何を頼りにすればよいか。林宗(混の子)に将軍の後を継がせてよいか」と。混は言った、「臣の子林宗は幼弱で大任に堪えません。殿下がもしまだ臣をお見捨てにならなければ、臣の弟の澄は政事において臣より優れておりますが、ただその懦弱さのために機事に称わないのを恐れるのみです。殿下が策励して用いられればよろしいでしょう」と。
- 混は澄および諸子を戒めて言った、「我が家は国の大恩を受けている。当に死をもって報いるべきであり、勢位を恃んで人に驕ってはならない」と。また朝士を見るごとに忠貞をもって戒めた。卒するに及び、行路の人もこれがために涙を流した。