十六国春秋夏錄四 韋𤣥

節を曲げた末の非業の死

  • 韋玄、字は祖思。京兆の人。隠居して志を養い、恬淡で欲少なく、経史に博く通じ特に文章に優れていた。姚興が礼を尽くして招いたが、興に会っても拝礼せず、興もその志操を重んじ厚く遇した。劉裕は相国掾に、宋台は通直郎にそれぞれ招いたがいずれも応じなかった。勃勃が長安を攻略すると使者を送り太子庶子として召した。玄は至ると恭しく畏れ礼を過度に尽くし禍を逃れようとしたが、勃勃は大いに怒り「朕はそなたを国士として召したのに、そなたはなぜ私を格別ではない者として扱うのか、そなたは昔姚興にすら拝礼しなかったのに、なぜいま私にだけ拝礼するのか、朕はまだ死んでもいないのに、そなたはまだ私を帝王として認めていない、朕が死んだ後、そなたたちが筆を弄べば、朕をどこに位置づけるつもりか」と述べ、玄を殺した。