観象賦
- 張淵、出自不詳。占候に明るく内外の星の分野に通じていた。かつて苻堅に仕えたと自ら語り、堅が南征しようとした際に淵は諫めて行かせないよう勧めたが堅は従わず、果たして敗れた。その後姚興・泓父子に仕え霊台令となり、泓の滅亡後は赫連勃勃に仕え太史令に任じられた。世祖が統万を平定すると、淵は徐辯と共に捕らえられた。
- 淵は星を観測する中で『観象賦』を著した。その内容は、高峰に登り遥かに天を望み、紫宮の星々や帝座の輝き、天の川、閣道などの天体・星座の壮観を描写し、四方の星宿――北の璣衡、南の太微・三台、文昌・造父・傅説・奚仲・織女・牽牛・五車・両河など――を次々に挙げ連ね、それぞれの星が官職や身分になぞらえて配置されている様を詳述する(「槍棓」は一に「梧」とも)。天市・房心・老人星・天社・霊台・少微・軒轅・皇后の位・女史・天牢など、天上の宮廷になぞらえられた星々の秩序を描き、さらに車府・天津・天狗・野鶏・河鼓・螣蛇などの星も挙げ、鈎陳・帝座・漸台・離宮・酒旗・女牀・輦道といった天上の宮殿・楼閣の様を巡り、咸池・玉井・天淵・南門・弧・狼星などにも及び、燕秦斉趙といった諸国星の名、雷電・霹靂・雲雨の星、尚書・大理・太乙・柱下・六甲・天船・積水・四輔など、天の官制になぞらえた星々の配置を網羅的に描く。
- そして天官の配列が地上の京城の制の手本となっていることを述べ、一方で災異の起こる時には妖星が現れ晋・楚に禍が及んだ古例を引き、これらは冥数の大運によるものであり治世の失によるものではないとし、荊軻の故事(白虹貫日)や衛先生の策、魯陽公が日を招き返した故事、厳陵(厳光)が現れた際の客星の逸話など、精霊が天象に感応する例を挙げる。さらに四季の運行、星の位置による吉凶占い(大風・淫雨の予兆など)にも触れ、天の運行が北斗の傾きや衆星の隠現を通じて巡ることを述べ、夜に山水に向かい星を観察する自らの心境を語り、堯の徳を称えた景星の故事、太公望が夢に天啓を得た故事、管仲が微細を観察した故事、宋の景公が守正によって熒惑を退けた故事、漢の高祖が関に入った際に五星が聚まった瑞祥などを歴代の故事として振り返る。
- 最後に、歴象を極めた末に古籍を尋ね、桀・紂の代に星孛や彗星が現れた凶兆や、周の衰退・秦の滅亡の際に現れた異変を挙げ、これらは人事に根差すものであり天災は虚しく起こるものではないと結び、暗愚な君主ほど改めがたく、明君こそこれをよく観察するものであり、堯のような無為の聖人ですら天象を観察したのだから、まして先哲に及ばぬ者はなおさらだと締めくくっている。