十六国春秋南燕錄三 慕容氏(段豐妻)
貞節を貫いた公主
- 段豊の妻・慕容氏は徳の娘。若くして才知に優れ書史を能くし琴を弾じることもできた。徳が帝位を僭称すると平原公主に任じられ、十四歳で豊に嫁いだ。豊は讒言を受け殺され、慕容氏は寡婦として暮らしていたが、実家へ戻り改めて寿光公・余熾に嫁がせられようとした。慕容氏は侍婢に「私は忠臣は二君に仕えず烈女は二夫を替えないと聞く、段氏(夫の家)はすでに無実の禍に遭ったが、私はすでに殉死できず、まして再婚に心を向けられようか、いま主上は礼義を顧みず私に改嫁を強いている、もし従わなければ厳君(父)の命に背くことになる」と語った。
- そこで日を定めて婚儀の交わりを行い、慕容氏の容姿は艶やかで服飾も華やかであったため、熾はこれを見て大いに喜んだ。一夜を経ると慕容氏は偽って病と称し、熾も無理強いしなかった。三日目に実家へ戻り、湯浴みをして酒宴を催し談笑は普段と変わらなかったが、夕方に密かに裙帯に「死後は私を段氏の側に埋めてほしい、もし魂魄に知覚があるなら、そちらへ帰るだろう」と書き記し、浴室で自ら首を吊って死んだ。遺骸は段氏のもとへ送り返され葬られ、これを見た男女は数万人に及び、皆「貞節の人よ」と嘆息した。柩が余熾の邸宅の前を通ると、熾は挽歌の声を聞き悲しみのあまり長く気を失っていたという。