十六国春秋南燕錄三 王始

妖術を用いた僭称と最期

  • 王始、莱蕪の人。徳の建平四年、妖術で数千人の民を惑わせ太山莱蕪谷に集結、自ら太平皇帝を称し公卿百官を任命、父の固を太上皇、兄の林を征東将軍、弟の泰を征西将軍とした。徳は車騎将軍桂陽王鎮を遣わし討伐させ捕らえ、都市で斬った。刑に臨むと人々は皆「なぜ妖言で人を惑わし自ら一族滅亡を招いたのか」と罵った。ある者がその父や兄がいまどこにいるか問うと、始は「太上皇帝は外で塵に塗れ、征東・征西は乱兵に殺された、朕の身はまだ生きているが、もう何を頼りにしようか」と答えた。妻の趙氏は怒って「あなたはまさにこの口の禍でこのような目に遭ったのに、なぜ死に際してまでそんな戯言を言うのですか」と言うと、始は「皇后はなぜ天命を悟らないのか、古来どうして破れない家、滅びない国があろうか」と答えた。刑の執行者が刀の柄で叩くと、始は上を仰ぎ「朕はいま崩じる、それでも帝号は改めぬ」と言った。徳はこれを聞いて笑い、左右に「熒惑(狂気)に憑かれた者は死んでもなお狂言を吐く、殺さずにいられようか」と語った。