十六国春秋後秦錄十 弗若多羅

律蔵の翻訳

  • 弗若多羅、罽賓の人。若くして出家し戒律の厳格さで知られ、三蔵に通じ律部に専心し外国の師の宗とされ皆から敬われた。弘始の初め関中に至ると、興は上賓の礼で遇し、羅什もその戒律の規範を重んじ厚く敬った。先立って経典・法門は伝わっていたが律蔵はまだ十分に開かれておらず、多羅はこの部門に精通していたため翻訳を推挙された。弘始六年十月十七日、長安城中寺で数百人の沙門を集め『十誦』の梵本を誦出させ、羅什が晋語に翻訳、二分の一を得たところで多羅が急逝した。折しも沙門曇摩流支も律に精通していたため、廬山の慧遠がこれを聞き喜び関中へ手紙を送り、支に残りの律を訳出させ完成させるよう勧めた。支は什と共にこれを続け完成させ、律の理解はこれより大いに整ったという。