十六国春秋後秦錄十 僧叡

学識への評価

  • 僧叡、魏郡長楽の人。若くして出家し二十歳で経論に博く通じ盛名を得た。羅什に師事すると悟りの妙は他に抜きん出ていた。秦の司徒・嵩は叡を深く重んじ、興がかつて嵩に「叡公は誰と比べられようか」と問うと、嵩は「まことに鄴衛の松柏のようです(一に『まだその帰する所を見ない』とも)」と答えた。朝会で公卿が大いに集まった際、その才器を観察すると叡の風格は超然として抜きん出ていた(一に『風韻は高く低く抑揚があり内容豊かで文彩に富む』とも)。興は大いに喜び、俸給・扶助・吏力・輿を給するよう勅した。興は後に嵩に「これは四海の指導者たるべき人物、なぜ鄴衛の松柏だけにとどめようか」と語った。叡が『成実論』を講じた際、什は「この論争の中には七か所、毘曇の説を論破する箇所がある、そなたはこれを弁じられるか」と問い、叡は挙げて問いに応じ、いずれも意にかなうものであった。什は「私が経論を翻訳し伝えてきて、そなたのような人物に出会えたことに何の悔いがあろうか」と嘆じたという。