還俗要請と固辞
- 道恒、藍田の人。内外の学問を兼ね備え才思清明、羅什が関中に入ったと聞き師事した。同学の道標もまた優れた才力を備え恒と並び称された。興はこの二人の卓越した才を聞き、経国の才があると見て尚書令顕に勅を宣べさせ還俗し輔政に当たるよう説得させた。詔を下し「そなたたちの清らかな節操は誠に称えるべきだが、朕は四海に臨み治世には才が必要、なぜそなたたちの能力を独善の境地に潜めておくのか」と述べた。
- 恒・標は上表し「私どもは道を楽しむ身で法服を脱ぐことなど思いもよりません、しかも仏法をまだ十分に学びきっておらず世事にも通じていません」と辞退した。興は再び詔を下し「独善の美は兼済の功に及ばない」として重ねて出仕を求め、両者はなおも固辞する応酬が繰り返された。最終的に興は羅什に手紙を送り協力を求め、什は僧䂮らに命じて説得させたが、䂮らはかえって「恒・標はすでに髭髪を剃り法服を纏った身、これを縉紳の朝廷に置くことは彼らの志ではありません」と興に取り成した。興はなおも「独善の美より兼済の功が勝る」との立場を説いたが、䂮らも重ねて古の隠士の例を引き反論、ついに興は求めを取り下げた。恒はこれを機に「古人の言葉にある通り、我を益するものは我が神を損ない、我に名を与えるものは我が身を殺す」と嘆じ、標と共に琅邪山に入り生涯出てこなかったという。