十六国春秋後秦錄九 薛辯

河東の豪族から後秦への服属

  • 薛辯、字は允白。その先祖は蜀から河東の汾陰へ移り住み、そのまま家を構え汾陰の人となった。祖父の陶は薛祖・薛洛らと共に部落を分割統率していたため「世薛」と呼ばれた。父の疆はさらに代わって部衆を統率し、祖洛の子孫は次第に衰えていったため、疆はついに三営を総攬し、夷民の慰撫に長けたことから帰属する者が非常に多かった。石虎・苻堅の時代を通じて常に黄河に拠り自立を保った。興が皇帝を僭称すると帰順し仕え、鎮東将軍として尚書に入った。
  • 辯は幼くして俊秀で洒脱、大きな謀略に富み、関中の豪傑の多くがこれを慕った。疆の死後、辯はその陣営を継承し、尚書郎建威将軍太子中庶子河北太守を歴任したが、次第に驕り高ぶり民心を失っていった。劉裕が泓を平定すると、辯はそのまま陣営を挙げて降った。