十六国春秋後秦錄八 姚緒

萇・興二代への忠勤

  • 姚緒、弋仲の子で萇と同母弟、それゆえ萇は深く友愛を注いだ。当初征虜将軍となり、萇が長安に至ると司隷校尉として長安を鎮守させた。興が即位すると安定に鎮守を移し晋王に封じられた。新平を攻め、河東太守柳恭・安定太守秦茂らは勢いに屈し降伏、新平・安定の新戸六千を蒲坂に移し実らせた。緒は并冀二州牧としてこれを鎮撫した。興が号を降した際、緒は碩徳と共に固辞して王位を辞し晋公と称した。
  • 弘始四年、興が北魏討伐の兵を発すると、緒に河東の現有兵を統率させ前鋒の指揮を執らせたが、興の軍は敗れ、魏は勝ちに乗じて蒲坂に進攻、緒は籠城して固守し、攻めても落ちず魏は引き上げた。興が河東へ赴くと、緒は城を出て出迎え、興は緒を家族の礼で遇した。境内および朝廷の文武に令を布告し、叔父の緒・碩徳の名を犯すことを禁じ特別の礼を明らかにした。興は謙虚で孝行深く、緒に仕える際は礼を尽くし、身なりを整え畏まり、話す時は字で呼び、車馬・服飾・玩具はまず緒に献上してから自らは次のものを用いた。国家の大政は必ず諮ってから行い、丞相にまで累進した。没すると敬王と諡し、萇の廟に配祀された。